市長について

プロフィール

1956年(昭和31年)
帯広市生まれ
双葉幼稚園、柏小学校、東小学校、第六中学校、柏葉高等学校卒業
1978年(昭和53年)
北海道大学法学部卒業
1978年(昭和53年)
石川島播磨重工業株式会社(現株式会社IHI)入社
1985年(昭和60年)
日本合同ファイナンス株式会社(現株式会社ジャフコ)入社
1989年(平成元年)
同社ロンドン駐在員(1993年所長就任)
1995年(平成7年)
北海道ジャフコ株式会社取締役社長就任
2000年(平成12年)
株式会社ジャフコ取締役を経て常務取締役就任
2005年(平成17年)
ジャフココンサルティング株式会社取締役社長就任
2010年(平成22年)
帯広市長当選 就任
2014年(平成26年)
帯広市長当選 2期目
2018年(平成30年)
帯広市長当選 3期目(現在に至る)
高体連で東海第四高と対戦

帯広生まれの帯広育ち
―ふるさとは、十勝・帯広

昭和31年3月12日帯広にて生を受けました。
実家は大通り南8丁目で名入れタオルなど贈答品を扱う小さな商店を経営していました。
双葉幼稚園、柏小学校、東小学校、第六中学校、柏葉高校と18歳まで帯広で育ちました。

アメリカの顧客とのパーティーにて

企業の経営・成長指導―グローバルな視点

その後大学(北大法学部)に進学、大学では民法・民事訴訟法を専攻しました。卒業後昭和53年、石川島播磨重工業に入社、中近東アフリカ向け化学プラントの輸出に携わり、2年強アルジェリアに工事駐在しました。石川島播磨重工業を7年で退社、中堅・中小企業に投資・成長支援を行う会社「ジャフコ」に転職しました。ジャフコでは、平成元年から6年間ロンドンに滞在、欧州における産学連携や成長企業の育成を学びました。また平成12年からは一部上場企業の役員として経営に参画してきました。ジャフコは国内外の中堅・中小の会社に投資し、多くの企業が株式上場をはたしています。ジャフコ時代に日本中の中小企業の社長と話した数では人後に落ちないと自負しており、中小企業の実態と課題は熟知しています。

(ジャフコ入社時(1986年)。アメリカの顧客とのパーティーにて。
写真中央。)

米沢のりひさ

政府委員なども歴任

経済産業省の「商法研究会」、「ベンチャー企業に関する研究会」、「サービス産業創出支援事業」「ビジネス性実証支援事業」「VCデータベース検討委員会」委員。総務省の「ユビキタスネット社会の実現に向けた政策懇談会」委員、産業構造審議会委員、産業整備基金外部評価委員会委員など政府関係委員を歴任。
北大経済学部、法政大学経済学部、青山学院大学経済学部、産業能率大学大学院、日本商工会議所、日本経団連での講師などを歴任。
市長就任以降も政府の会議や経済団体、大学などで「フードバレーとかち」、「とかち・イノベーション・プログラム」などの講演を多数実施。

ふるさと帯広の市長にチャレンジ

50歳を過ぎた頃、全国の地方都市は難しい経営を迫られており、中央集権から地域主権の流れもありました。また、私自身も中小企業の多くの社長と話したことや経営コンサルとしての経験など、今までやってきたことを活かして、もうワンステップやれることはないかと考えていました。その時に掛川市長を務めた榛村純一氏の著書「地球田舎人をめざす」という本に出会いました。「故郷、大都会、グローバルの3つの土地勘をクロスさせる見識・能力が新しいリーダーの要件」との記述に思わず引きつけられ、自分の姿を重ね合わせました。この出会いによって、これからの地方都市に強く関心を持ち、ふるさと帯広に戻り、自治体経営のトップにチャレンジする決心をしました。

人生の節目

今、振り返ると概ね10年単位で転換期がありました。
大学を卒業して東京の会社に勤め、輸出の仕事で中近東・アフリカに行ったりしたのが、40年前。30年前は、ベルリンの壁が崩壊した時ですが、イギリスのロンドン駐在となり家族と一緒に赴任して6年間世界の金融ビジネスの中心地で働きました。20年前は、東京に戻り一部上場企業(ジャフコ)の役員としてキャリアを積んだ頃。10年前、53歳で帯広市長に立候補し初当選、そしてワクワクドキドキの10年が過ぎました。これからの10年も走り続けます。(2020年時点)

(米ミシガン湖近くにて。3M関係者と記念撮影。写真右。)

まちづくりへの想い

「きっとね!」のまちづくり

「三度のごはん きちんと食べて 火の用心 元気で 生きようきっとね」これは、井上ひさしの戯曲「兄おとうと」で繰り返される歌で、私が帯広市長に立候補した時から今も心にとどめている一説です。
この中に帯広市長としてやるべきことの全てが表現されている想いです。
三度のごはんが家族できちんと食べられる生活基盤、地域経済があること。
災害への対策や健康で生き生きとした生活など、まちづくりそのものだと感じています。
十勝・帯広には、恵まれた環境と豊かな資源、開拓の歴史の中で培われてきた一体感、決して諦めない強い意志を持って挑戦できる人たちが住む地域です。
今、世界は持続可能な未来を築くための目標(SDGs)に取り組んでいます。
十勝・帯広においても、持続可能な未来を目指し、市長に就任以来、10年間掲げてきた「フードバレーとかち」を十勝管内19市町村が一体となって進めてきました。
こうした取り組みにより、新たな価値の創出や多くの人々の挑戦が促され、農作物の輸出拡大、域外からの投資や交流人口の拡大など、地域の活力は着実に高まってきていると感じており、十勝・帯広はこれからも持続的に発展し、存在感を持ち、輝き続けることができるポテンシャルがあると確信しています。
この流れを未来に続け、大都市圏とは異なる豊かさを享受できる地域社会の実現を目指します。